孤独は悪いことなのか?自分なりの人生哲学を持って自由に生きる

現代社会では少子高齢化・不況・コロナ禍・東京一極集中・核家族化など様々な原因で孤独を感じている人が増えています。

孤独は社会にとって悪影響であり改善すべきだという論調がありますが、果たしてそれは正しいのでしょうか?

深山幽谷にたった一人でいるよりも都会の喧騒で孤独感に苛まれる人の方が多いのは、物理的な人との距離ではなく精神的な問題を抱えているからでしょう。

職場や学校における悩みの多くは人間関係によるもので、人間関係のもつれから孤独やストレスを抱える場合があります。

人間は社会的動物というのが前提にあるので、孤独感は集団生活から逸脱しないために備わっている本能かもしれません。

昔よりも格段にコミュニケーション手段が発達し、SNSなどを使えば四六時中やり取りができる環境になりましが、実際には便利なほど人々をより孤独にすることが調査で明らかになってきました。

孤独になると自分と向き合わざるを得なくなり、そこで自分なりの人生哲学を築いていきますが、現代人は常に他人と比較され繋がりを求められます。

孤独に苦しみ自ら命を断つ人や鬱病になり生活がままならない状態になる人がいますが、もし自分なりの人生哲学が築けていれば回避できたかもしれません。

社会的な成功を収めた人や人気者はもれなく孤独を感じているでしょうし、一歩間違えれば先ほどの人たちと同じ道を歩んでいても不思議ではありません。

前者に無くて後者にあるものは間違いなく人生哲学であり、手にしたものだけが本当の自由を味わえます。

「最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる」(エジソン)
「人間は孤独でいるかぎり彼自身であり得るのだ。だから孤独を愛さない人間は自由を愛さない人間にほかならない」(ショーペンハウエル)
「孤独であって、充実している、そういうのが人間だ」(岡本太郎)
「自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである。」(フロイト)

メメント・モリ (死を忘るなかれ) という警句があるように、所詮人間はひとりで生まれてひとりで死んでいくもので、死を意識すればあらゆる欲求や恐怖や恥じらいが取り除かれ人生の本質だけが残るわけです。

古今東西の宗教において修行の一環として自ら人間関係を断ち、孤独に身を置くことが共通認識として存在します。

古来より宗教は悩める人たちに人生哲学を授けるために発展し続けてきたのかもしれません。

宗教を経済に置き換えた日本では企業へ奉仕することが人生哲学とされ、特に経済成長を支えてきた団塊世代が退職後にもぬけの殻のようになるケースが珍しくありません。

今の若者は勉強や仕事に追われて人生哲学を築く余裕がなく、かといって企業への帰属意識も低いので人生の目的を見失いがちです。

幸か不幸か大地震やパンデミックなど死を意識するイベントが近年多発しているので、死を意識する機会が増えて人生の本質が見えてきた人も多いでしょう。

孤独にならない限り何かに依存するしかないので、孤独に悩むのではなく自由を手に入れたと自信を持って生きる方が人生が豊かになります。

職場や学校やSNSといったひとつのコミュニティに依存することなく、確固たる人生哲学を持って孤独と寄り添いながら死ぬまで生きましょう。