エドワード・ゴーリー 残酷で怖いダークな世界観に引き込まれ読む手が止まらなくなる大人の絵本


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絵本といえばおもに幼児や児童向けに大人が子供に買い与えて読み聞かせたりするものですが、最近は大人向けの絵本も増えています。

その中でも古くから”大人のための絵本”として世界中に熱狂的なファンがいるのがエドワード・ゴーリーという絵本作家の作品です。

エドワード・ゴーリー自身は2000年4月15日に75歳の生涯を終えますが、同年10月に初の邦訳本が出版され国内でも徐々に読まれるようになりました。

エドワード・ゴーリーの作品は数多くありますが、特に道徳や倫理観を排除した不条理な不幸によって子供たちが死に至る描写が印象的です。

日本で最初に出版された『ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで』ではアルファベット順に子供たちへ次々と不幸が訪れ死ぬという残酷な内容です。

死に方も得体の知れないモンスターに襲われるのではなく、階段から転げ落ちたり斧が刺さるなど妙にリアルな表現を含んでいます。

子供に読ませるには刺激が強すぎると感じますが、それも所詮は大人の尺度であり学校の通学路で小動物が車に轢かれていたり、転んで膝から大量流血したりと意外と死やグロテスクなものが身近にあることを子供は知っています。

最近は社会の雰囲気が臭いものには蓋をして残酷なものは極力見せないような配慮がされており、それは時として現実から遠ざかっているような感覚に陥ります。

そのうえで改めて彼の作品に目を通すと非現実的なストーリーだったものが、余計なフィルターのかかってない現実が描かれているようにも受け取れます。

よく”教育に悪いから見せない“という意見もありますが、それなら第二次世界大戦の戦火を生き延びた子供たちはみな廃人になっているはずです。

避けたくても直視せざるを得ない死の恐怖を体験してもなお真っ当に生きようとする人間の強さを戦争経験者は持っています。

その後もメディアや社会がもっと刺激的だった時代を経て今の日本を形成しているので、逆に過保護すぎて耐性が付かないまま大人になってしまう不安があります。


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絵本のなかにはそうした現実を教えてくれる作品もたくさんあります。

しかしエドワード・ゴーリーの作品には日本昔ばなしのようなわかりやすい教訓や道徳も無視した圧倒的な不幸が描かれています。

教訓や道徳を糧に生きてきた人でも防ぎようのない圧倒的な不幸というものがこの世には存在し、最近ニュースでよく目にする子供を巻き込んだ衝突事故がまさに当てはまります。

ストレートな恐怖ではなくジワジワと忍び寄る恐怖は日本の怪談と似ている部分もあり、日本人はそうした感性に優れていることは確かです。

故にエドワード・ゴーリーの作風を好み、より深層まで読み解く力を秘めているでしょう。

説明しすぎないことでそれを上回る想像力が働き、読む人によって解釈の幅がさらに広がります。

シンプルな内容だからこそ翻訳も難しそうですが、翻訳を担当した柴田元幸さんの絶妙な言葉選びは原作の魅力を損ねることなく文句なしの翻訳だと思います。

オリエンタルラジオの中田敦彦さんによる紹介動画でわかりやすく解説されており、何も知らない人が見ても興味を持つような素晴らしいまとめ方です。

YouTubeのコメント欄に下記のような解釈があり、腑に落ちる部分もあったのでご紹介します。

ネットでエドワードゴーリーについてディグって自分なりに咀嚼したのですが、ゴーリーは数年間軍人をやっていた時期があります。軍人を経験していたゴーリーは社会で働くようになると、周りの人間が「死」や「不幸」というものに鈍感であることに気づいたんだと思います。そこでこのような作品を書くようになったのではないかと思われます。

ゴーリーの言葉にこのようなものがあります。 「私の人生の使命は、みんなをできるだけ不安にさせることです。私たちは皆、できるだけ不安になるべきだと思います。それは、それが世界のようなものだからです。」 「私の仕事を真剣に考えることは愚かさの高さでしょう。」

もともとゴーリーの親は新聞社で働いており、自身もメディア関係の仕事をしていた中で、メディアが誇張や曲解した表現で民衆を本質から遠ざけていることに一石を投じたかったのだと推測しました。

不安や恐怖は決してネガティブなことばかりでなく、現実としっかり向き合いどうにもならない状況にもできるだけ準備する判断力に繋がるので、エドワード・ゴーリーの作品からいろいろ思いを巡らせてください。


不幸な子供


ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで


おぞましい二人


ウエスト・ウイング