盆栽は植物虐待なのか?剪定や針金かけによる樹木への負担と生ける芸術としてのバランス

植物の適応能力

盆栽は通常なら大きく育つ樹木を無理やり小さな鉢に収まるように整形するわけですが、それを植物虐待と捉える人も少なからずいます。

草木は動物のように鳴き声や仕草で感情表現できないので、人間が一方的な判断で盆栽に仕立て上げていることは事実です。

しかしその行為が虐待に当たるかと言えば動物虐待のような残虐性とは区別して考えるべきだと思います。

まず植物と動物の違いは成長してから小型化できるかにおいて大きな差があります。

植物は自分で瞬時に動けないので環境の変化に適応するために自らを環境へ合わせようとします。

環境の変化に敏感な種類だと葉を全部落として枯れたかと思いきや、すぐに環境に合った新しい葉を展開する仕組みが備わっています。

動物はより暮らしやすい環境へ移動する力があるので、植物ほど環境変化に対する柔軟性がありません。

素っ裸の人間が年中外で立ちっぱなしならとても生きていけませんが、落葉樹は日差しの強い時期に葉を付けてエネルギーを蓄え、冬には葉を落として省エネで乗り切る術を持っています。

小さな水槽で金魚を稚魚から育てるとその環境に合わせて一定のサイズで成長が止まりますが、別の大きな水槽で育ち切った金魚を入れても小さくはなりません。

動物は環境に合わせて成長が止まることはあるけれど、一度大きく育ったものは縮小しないという事です。

それに対して盆栽がやっていることは植物を少しずつ小さくしていく作業なので、まさに植物の環境適応能力が発揮されています。

野生の植物は強風・大雨・積雪・落雷・日照り・虫害・獣害・病害などあらゆる困難に晒されていますが、盆栽は人の手で大切に管理されているのでむしろ過保護すぎるほどです。

土が乾いたらたっぷり水をくれて、適度な日除けと肥料もくれて、保温や消毒もしてくれるので至れり尽くせりです。

反対に管理が下手だったり過保護すぎて枯れてしまうこともあるので、野生の植物を小さな鉢で育てるのは一筋縄ではいきません。

植物の目的

また種の繁栄として考えると自然下ではせいぜい種を撒き散らしたり、鳥や小動物に運んでもらう程度の拡散力だったものが、大量に栽培されて海まで越えられたのは盆栽のおかげでしょう。

万が一日本の自然が何かしらの理由で脅かされても海外を渡った盆栽がバックアップとして機能します。

原種はすべての品種の祖先なので見向きもされず絶滅するような事は避けなければなりません。

盆栽は品種改良よりも自然のいたずらで奇跡的に発見される突然変異を好む傾向にあるので、二度と採取できないような品種は様々な場所で栽培された方が安心です。

名もなき山野の草木に芸術性を追い求めるのは日本人の優れた特性なので、山採りなどで採り尽くされた種類もありますが、だからこそ大切に栽培して後世へ残してほしいです。

剪定や針金かけ

盆栽における剪定や針金かけが樹木へストレスを与えるのは確かですが、時期や状態を見ながら適切に行えば樹木にとってプラスに働くこともあります。

小さな鉢では樹木が蓄えられるエネルギーに限界があるので、剪定によって無駄な枝や葉を取り除くことでエネルギーを効率よく使える状態にするという効果があります。

針金かけは手軽に芸術性を高める手段として近代になってから編み出された矯正法ですが、これは必須というわけではなく、それぞれの理念に基づいて必要なら取り入れる感じです。

大宮盆栽村にある九霞園 (きゅうかえん) では針金かけを一切行わず剪定のみで盆栽を美しく管理しており、生き生きとした自然本来の姿を引き出す盆栽は固定観念を払拭してくれます。

皇居内の盆栽を担当することもある盆栽園ですら、理念によって針金かけをしないという判断に至ることがあるという事です。

皇居の盆栽に樹木本来の魅力を活かした伸びやかな作品が多いのも九霞園との深い関わりがあるからでしょう。

正直素人が適当に針金かけするくらいなら、自然の姿を活かすような枝振りにした方が美しさが際立つと思います。

神や舎利

樹木の幹や枝を人工的に削って傷をつけたものを神や舎利と言いますが、これも動物に当てはめると何とも残虐な行為です。

山に植わっている木は落雷を受けたり過酷な環境で一部分だけ枯れてもなお生き続け、そこに自然の厳しさやたくましさを感じる人が盆栽へ落とし込んだのが神や舎利です。

動物にこれだけ傷をつけてしまうと腐ったりして大変ですが、樹木は水吸いが残っていれば問題なく生き続けます。

動物にとっては致命傷でも植物にはそれを克服するだけのリカバリー能力があるので、盆栽は枯れてしまった組織ですらも芸術の一部として取り込む雄大さがあります。

盆栽における矮性種

いくら植物の適応能力が優れているとはいえ葉が小さくなりにくかったり、近年増えているミニ盆栽や豆盆栽のようなサイズ感では様にならない種類の樹木も多いです。

そうしたなかで矮性種に自然と人気が集まるわけですが、これは成長不良で小さいわけではなく健康な状態で小さく収まるので樹木への負担も減ります。

小葉で枝節が短く密に生えるような品種がどの樹木でも好まれるので、今では矮性種が欠かせない存在となっています。

ちなみに皆さんが普段食べている種なしブドウは矮化剤 (植物ホルモン) を散布して強制的に成長を抑制しながら作られています。

そう考えると盆栽よりも野菜や果物の方がよほどえぐい虐待をされているとも言えます。

まとめ

盆栽は植物虐待なのかについての個人的な結論としては、虐待とまでは言えないが人間のエゴによる一歩的な愛情で作り出す芸術なので、植物の声を聞いてみないと真実はわかりません(笑)

小さな鉢でも育てやすい矮小種やもともと小さな山野草などを最小限の管理で栽培するのが、無理のない盆栽作りと言えるのではないでしょうか。

普通種をゴリゴリに剪定して針金かけてコントロールしながら作る従来の盆栽も悪くないですが、そうした作り方に違和感を抱いたら一度立ち止まって盆栽についてじっくり考えるのも良いでしょう。

もしかしたら”生ける芸術“という表現も人間の傲慢さが浮き彫りになるだけで、自然の産物に対しては不適切かもしれません。

観葉植物

Posted by Coro