シンプルライフはマイノリティ(社会的少数派)なのか

2014年11月11日

Occupy Wall Street
Photo by David Shankbone

先進国で生まれた価値観

シンプルライフとは物があふれる社会のなかで、自分なりにフィルターをかけて身の回りを整理し快適に暮らそうとする生き方です。おもに欧米や最近になって日本でも徐々に広まっているライフスタイルですが、それはある程度成熟した社会構造のなかでしか成立しません。

例えばアフリカや東南アジア周辺の発展途上国で断捨離の本を出しても間違いなくヒットしないでしょう。そもそも大量に捨てるほど物は持ってないし、必要な分の衣類や生活用品で暮らしています。捨てるなんてMOTTAINAI

彼らは自分がシンプルライフな生き方をしているとは思っていません。
物が無いのが普通だし、まわりも持っていないので比較しようがありません。
私たちのご先祖様もそれほど身の回りに物はなかったと思います。

今だって土地がないのに都市に人口が集まっているので部屋は狭く、欧米人からすると立派なスモールハウスに見えるでしょう。そんな日本で断捨離がもてはやされるということは部屋の広さに対して物が多いのだと思います。

成長曲線

社会は急激に成長してからゆるやかに衰退していくのが自然の摂理です。発展途上国はまさに上り坂を駆け上がっている状態なので、常にアクセル全快で勢いがあります。上り坂が永久に続くことは無く、いつか山頂に到達し成熟した社会となります。

そこからはまたゆるやかに下り坂を降りていくのですが、もうアクセルをベタ踏みする必要は無く適度にブレーキを使う技術を身につけなければなりません。成熟して足し算する社会から引き算する社会へシフトしたということです。
日本社会はあまりに急な上り坂だったので、下り坂もゆるやかとはいきません。

政府はなんとか人口1億人をキープしたいようですが、それはアクセルを踏む行為で上り坂がいつまでも続くのだという願望に過ぎません。ダウンサイジング(規模の縮小)していかないとブレーキの効きも悪くなり、一気に奈落の底へと転げ落ちる可能性があります。

私たちのシンプルライフ

経済大国に生まれ、物資がいくらでもある社会の中で生きている私たちがシンプルライフを実践することは、ダウンサイジングを個人レベルで行っていると言えるでしょう。

それだけ社会が成熟しているという証であり、大きなうねりのなかで感覚の鋭い人たちが現代社会に違和感を抱き、自らの生き方を改善しようとする動きが現れ始めました。ひと昔まえのヒッピー的なノリではなく、もっと社会に即した人間がシンプルライフに目覚めています。

合理化した暮らしを模索する

物が捨てるほどあるという恵まれた環境に感謝しつつも、世界中には持ちたくても持てない暮らしをする人たちがたくさんいることも現実です。それを踏まえて人類は今後どのように暮らしていけばよいのか、途上国の指標になるような立ち振る舞いを個人から社会レベルで行えたら素晴らしいことです。持てるけどあえて持たない贅沢という意識が根付いたら面白そうです。

まとめ

社会が衰退することは悪いイメージと受け取れますが、私はそうは思ってなく今まで付け焼き刃で増やしてきた社会の仕組みをいちから整理して、もっとシンプルな仕組みの社会を目指す時期に入ったという考えです。

何事にも足し算より引き算を使う場面が増えていくでしょう。個人レベルであらかじめダウンサイジングしておくことは、外からの影響を受けにくく粘り強さのある生活基盤を築くための支柱となります。